ブルー・シャドウ

ブルー・シャドウ

目の前の幸福を掴む恐怖
みたいなのを書きたくて。

何を選んでもどう選んでもきっと幸せになれるなっていう感触があった時、
そこに飛び込む勇気が出ない。

幸せになるって終わりも一緒についてくるし、
自分の選択が本当に間違っていなかったのかって
絶対に振り返ってしまう。

生きていると、幸福がどんな感覚なのかなんとなくわかってくるじゃないですか。
幸福だと自分に暗示をかけている感覚も、
幸福が遠退いて行く感覚も、わかってくる。

だから幸せになりたいって口にするのは簡単だし誰しも思う事だけど、
物凄く努力が必要な事だって私は思っています。

努力が必要なのに幸せって瞬発力があるだけだから、
案外努力に見合わないほど平坦だったりもしますよね。
だから努力を怠ると優しさが当たり前になって、
面白かった事に何も感じなくなって、
仕舞いには特別な感情が消えて無くなる。
刺激的な事を探すけどどれもしっくりこなくて
不甲斐なくなって、の繰り返し。
そう言う時に差し伸べられた手は優しく見えるし、
判断も鈍る。

だから目の前の幸福の入り口に足を入れるか入れないかって、
結構勇気と責任がいる事だと思うんです。

歌詞の中の主人公はそんな感情を抱きながら必死に自分の進むべき方向を模索しています。
夜の街に繰り出しても、
人の匂い、場所の匂い、
息を吸った時に入ってくる街を纏う空気は
逆に疲れた心を懐かしさや現実で満たしてしまって、
それらが服の裾をつまんで離そうとしない。
どこに行っても。
誰かと遊んでも、誰かに声をかけられても。

私を導こうとする幸福には飛び込めない。
その片鱗を少しだけ味合うのが精一杯だし、
今はちょうどいい。
こう書くとずるいような気もしますが、
自分をしっかり保とうとする強い心を持っています。

幸せになるのが怖いって贅沢なようだけど、
案外感じたことある人多いのかなと思います。

制作秘話的なところで言うと、ブルー・シャドウは、4、5年前くらいに書いた曲です。
そして実はこの曲、2年前くらいにレコーディングしているんです。
そしていざリリースするってなった時、
今現在の自分たちもそこにちゃんと居たいなって事で、
録りなおしたパートもありました。
エレピやストリングス、その他音色なども、当初これで行こうってなった物から変えています。

実はボーカルのダブルも、レコーディング当時、2年くらい前の私と数ヶ月前の私のデュエットです(笑)
だからこの曲は、作られた4、5年前、
レコーディングした2年前、再録した時数ヶ月前と、
重ねた時がぎっちり詰まっているんです。
作った時期もリリース時期も冬なので、
なんだか冬らしい曲に聞こえてきています。

ブルー・シャドウは作られた時から(バンドを組む前)
弾き語りで歌ってきていた曲なので、
こうして形を変え続けて音源となり聴けることは本当に胸に来るものがあります。

アレンジもとても八月の微睡みらしい、
大人でどこか懐かしいアーバンなサウンドに仕上がっているので、
それこそ歌詞にあるようなドライブや、しっぽり体を揺らしたい時、
じっくり自分と向き合いたい時に寄り添える曲になったのではないかと思います。